7月8日
岡山市の国際交流センターが主催するタイ人留学生との交流会に参加してきました。私にとっては数年ぶりに生のタイの雰囲気を味わう機会でした。まだ大学生だった頃、タイの留学生が大学に来て、1週間~3ヶ月間、一緒に大学で過ごしたり、京都市内の観光に行ったりしました。一人暮らしで時間に融通が利いたこともあり、ほぼ毎食共にするほど、彼らと濃密な時間を過ごしました。そのうち私も彼らと同じ言葉で話したいと思い、タイ語の勉強を始め、いつしかタイ語で普通にいろいろなタイの方と話すようになっていました。そしてタイへ留学し、バンコクの日本語教会で洗礼を受けることになりました。
今でも、当時なぜあんなに熱心にタイ語を勉強し、タイ人と交流していたのか、上手く説明できませんが、その情熱は人生の中でも圧倒的なものでした。まさに若さと青春の時代でした。
そんな大学時代から約10年。街並みや社会や生活はずいぶんと現代化している一方で、タイの留学生の心には変わらない大切なものがあると感じました。大学生だった私はその大切なものを探した結果、イエスキリストと出会いました。タイとの出会いはキリストとの出会いそのものでした。関心を持ち、前に向かってひたすらに走っていたように思っていたことさえも、神様は用いて信仰の決心も献身の思いも与えてくださったことに10年の時を超えて気付いた時間でした。
私は、すでに得たのでもなく、すでに完全にされているのでもありません。ただ捕らえようとして追求しているのです。そして、それを得るようにと、キリスト・イエスが私を捕らえてくださったのです。
ピリピ3:12