11月25日
人生で初めて弁護士事務所へ行きました。理由はともあれ、これまでに弁護士と関わったことがなかった私は、弁護士の相談はお金に余裕のある人や保険に入っている特約で行うもので、できれば人生の中でお世話にならなければいいな、と思っていました。
ただ、テレビを通じて、法律相談やトラブルへの対応などで毎週のように話題が提供されている様子や法律事務所の数から考えると、私が考える以上に弁護士と関わりをもち、お世話になっている人がいるのだろうと考えていました。
実際に行って話していくと、まるで教会のミーティングをしているかのような気持ちになりました。相談者の生活や状況を親身に聞きながら、現実的な解決方法を探り、必要な手続きについて代理人として対応する姿はまさに牧会者のようでした。
相談者は自分の力では解決できない状況の中で、その判断と執行を代理人に委ね、弁護士が示した状況と対応受け入れて、物事を進めていくことで、これからの生活の厳しさに押しつぶされるのではなく、一筋の希望が照らし出されて、安心するのだと感じました。
この弁護士の姿こそ、聖書で示された「弁明者=友」であり、私たちを友と呼ぶキリストである、と私は知りました。私たちの人生で犯した罪を弁護してくださり、十字架によって刑を代行されたのはイエス・キリストに他なりません。キリストによって罪の裁きの厳しさから解放され、平安が与えられるのなら、喜んでキリストが示した状況と対応を受け入れて、人生を歩みたいと感じました。
神の命令を守ること、それが、神を愛することです。
神の命令は重荷とはなりません。
Ⅰヨハネ5:3