2月24日
被災地における心のケアの学びに参加してきました。主に傾聴に関するセミナーでした。その初めの話題に「怒り」の奥に隠れている本当の気持ちを探ることの大切さについて取り上げられました。
心にぽっかりと穴が開いた喪失状態になったとき、心や体に大きな変化が訪れることは決して特異なことではなく、正常な反応であり、丁寧に対応することが大切だということです。
グループで話し合う中でこのような意見が出ました。「怒りの矛先は他人ではなく、自分の話しを聞いてくれる相手を選んでいる。」「そこには一つの甘えたい気持ちがある。」「ただ、怒りを悪い感情と思い、怒りをぶつけてもいいと自身を持って言える相手を見つけることができず、蓋をしてしまう。」と言ったものでした。
この話を聞きながら、私は祈りの大切さを感じていました。この辛さや怒りを神様にぶつけられたらどんなにホッとするだろうかと思うと、私のつたない祈りを黙って聞いていてくださる神様へ感謝が湧いてきます。不完全で失敗をして臆病で逃げ出したくなるときもある自分を優しく包み込みながら、居場所として一緒にいてくれる存在に、どんなに励まされてきたかを思い出しました。
失われた生活の基盤はたくさんのサポートを受けながら少しずつ復興していくのが目に見えます。一方で、失われたいのちのかけらの回復は時間がかかります。キリストが傷ついた私たちを迎え入れてくださるように、私自身もともにいる居場所でありたいと思いました。
するとイエスは言われた。あなたも行って、
同じようにしなさい。
ルカ10:37