光テラス No.84

11月24日
 教会の信徒と食事の交わりをしに出かけたときのことです。いつも通っている料理屋に一緒に行き、お話でもしようと考えていた私に、

「この後時間ありますか、食後に散歩しましょう。」
と言われ、どういうことかよくわからないまま、

「あ、はい。」
と答え、思ったよりもだいぶ早く食事が終わりました。

 食事が終わると、コックの人たちに外国語で声をかけ、お店の裏の平屋のおうちへと回りました。するとそこには小さな子どもが一人でいました。その子どもの名前を呼び、一緒に出かけようとしたところ、その子の母親が戻り、先にご飯を食べてからということになりました。

 しばらくして、その子が外行きの格好に着替えてきたので、私が連れて行くように言われ、その子を抱きかかえて20分の道のりを歩いて公園まで行きました。
1時間ほど遊んだ帰り道、信徒になぜ散歩に行こうと誘ったのかと尋ねました。すると、愛のある笑顔でこう答えました。

「私が行ったときくらい、外に連れて行ってあげないとね。
 お母さんも言葉通じないから不安だけど、
 子どもだって思いっきり走り回りたいだろうし。」

 その子が一度交通事故になってから、言葉の通じない家の外へ連れ出すのが不安になっているお母さんと子どもを思いやる信徒の愛は言葉だけでなく、行いをも伴ったものでした。遊びまわるその子の笑顔が今でも、私の記憶に鮮明に残っています。

   「ザアカイ、急いで降りて来なさい。
    わたしは今日、あなたの家に泊まることにしているから。」
                          ルカ19:5