1月5日
2019年最後の大きな出来事は娘の誕生でした。クリスマス礼拝・キャンドルサービス後に出発し、出産した妻と娘に会いに行きました。父親の自覚というのはいつ出てくるのかという疑問も抱きながらも、生まれたわが子を見たときに、私自身が生まれた際に撮られた写真の顔とそっくりな顔に、すぐに愛着が湧きました。
生まれたての幼子の表情に一喜一憂する一方で、子育ての最初期において私ができることはわずかだということを一日一日が過ぎていく中で知ることとなりました。たとえオムツを交換しても、泣き叫ぶ子を抱いてあやすことができても、私にはどう頑張っても子を産むことも母乳を与えることもできません。
それでも、家族がそこに揃っているということが私たちにとって何よりも幸せな時間だということを確認することができました。
滞在中、私は妻が妊娠中に語っていた言葉を思い出しました。
『何もできなくてごめんね。邪魔になっていないかな。』
妊娠中、家事や仕事に貢献できずにいた妻が自分の価値を見出せずに悩んでいたように、私もまた子どもを生かすということに貢献できずにいることで、自分が情けなく感じてしまうことが重なっていました。それでも私は、個人ではなく、家族という単位でいられることに感謝しました。主が私を貢献ではなく、存在を受け入れてくださったからだということを、新しいいのちが教えてくださったからです。
夫たちよ。キリストが教会を愛し、
教会のためにご自分を献げられたように、
あなたがたも妻を愛しなさい。
エペソ5:25