2月23日
早朝に電話がかかってきました。体はまだ起ききっていない状況でしたが、教会の方に何かあったのかもしれないと思い、短く祈って受話器を取りました。
初めて聞く声で、「キリスト教に入信したい」と語り出しました。葬儀連絡ではないことにホッとしながらも、なぜこの時間に教会へ電話しようと思ったのかと考えながら、私は話を聞くことにしました。
これまでのことなどを語りながら、教会に行くから聖書を教えてほしいと仰ったので、「10時頃に教会へいらしてください。12時までは必ずいますので。」
と答えました。するとその方も「必ず行きます。」と言い、電話を切りました。
しかし時間になっても、その方は来ません。名前だけは聞きましたが、電話をかけることも、訪問することもできません。ただ、「必ず行きます」と言ったことばだけを頼りに、物音がする度に振り返り、窓の外を眺め、ひたすら待ちました。11時が過ぎ、12時が過ぎ、とうとう13時を過ぎていきました。
結局来ることはありませんでした。長時間待つ自分の姿を、幼い頃に読んでもらった『靴屋のマルチン』の話に重ねながら、神様にそっと語り掛けました。
「神様、どうかふさわしい時に来てください。私はまた、あなたを待ちます。」
あなたがたはも今は悲しんでいます。
しかし、わたしは再びあなたがたに会います。
そして、あなたがたの心は喜びに満たされます。
その喜びをあなたがたから奪い去る者はありません。
ヨハネ16:24