5月3日
日常の娘の世話について夫婦で話し合う時を持ちました。育児と家事と仕事のバランスが崩れていた私と育児と家事だけでもハードな生活だった妻。娘が夜中大泣きし、何時間も眠れない夜を1週間ほど過ごした影響で、二人とも心身ともに疲れ切ってしまいました。
疲れからイライラが溜まり、感情のコントロールが難しくなっていると妻は私に話しました。また、私も家事と育児で疲れてしまい、仕事に手が回らなくなっている状況を抜け出せないまま、何週間も過ごしていることを伝えました。
「あれほど待ち望んで預かったいのちなのに」
と思いながら、
「この子がいなければもっと楽になるのに」
と考えてしまうほど、実は自分は弱かったのだと知りました。
そんな私たちに神が娘のいのちを預けた意味と目的を考えながら、話し合いを続けていたときに、次のような答えにたどり着いたのです。
『自分の家族を守るため、自分の弱さを認め、
主導権を相手に渡し、相手に指導される覚悟を持ちなさい』
この言葉は育児だけでなく、信仰についても同じでした。父親として過ごしてきたたった2ヶ月の歩みや、教師として歩んだ2年の経験に固執し、弱さを隠して進もうとしては何も実りません。私に求められていたものは、自らの弱さに敗北したと明らかにし、身近な人から学ぶことがどれほど多いのかを悟ることだったのです。
あなたがたの従順は皆の耳に届いています。
ですから、私はあなたがたのことを喜んでいますが、
なお私が願うのは、あなたがたが善にはさとく、
悪にはうとくあることです。
ローマ 16:19