5月31日
急遽外部奉仕をすることになり、説教を準備することになりました。奉仕先は私が洗礼を受けた国外の教会です。現在は牧師がおらず、コロナで国を越えての移動も封鎖になり、奉仕に来ることもできない状況です。4月に入るとさらに状況は悪化し、現地でも緊急事態宣言が発令され、会堂での礼拝も困難になりました。
このような事情が、かつて教会に通い、日本に帰国した人たちに伝えられ、インターネットを通して行われる動画礼拝の説教者を打診していたそうです。そのような流れの中で、私にも声がかかりました。
打診から礼拝まで、たった2週間しかないため、会議で承認を得るには間に合いません。主任牧師に相談し、了解をいただき、引き受けることになりました。教会の礼拝に現在どのような方が来られているのか、何を考えているのかも想像しきれない中で、祈りながら与えられた聖書の御言葉を読み返すたびに私の心は揺れ動きました。
昔、私が通った教会において受けた恵みの一番大きなものは神を信じる信仰でした。そこで洗礼も受け、神学生として奉仕をしながらも、礼拝説教はおろか、洗礼に至った証をすることもありませんでした。しかしこの危機を通して、私が証をし、奉仕することができるようになりました。キリストが示された福音を弟子たちが証する者になっていったように、私もまた、福音を証する者へと変えられ、与る者から与える者へ養われてきた感謝と感動をその教会への初めての私の証として伝えることにしました。
この時間、映像を見ながら、ともに礼拝していることでしょう。
聖霊があなた方の上に臨むとき、あなたがたは力を得ます。
地の果てまで、わたしの証人となります。
使徒 1:8