7月12日
キリスト教の異端・カルトグループについてのニュースを耳にしました。これまでの教会の教えでは救われないと否定し、これこそが真の救いであると異なる教えを伝えていく異端は、救われない不安を煽り、解決方法はこの教団の教えを受け入れるしかないと提案します。
これらの教団のほとんどが、意思決定を委ねることのできる特別な存在を提案します。この人の教えに従えば大丈夫、この人こそ救世主だと語るのです。救われない不安に感じていた人はこの存在を信じることでほっと一安心します。「あぁ、これでもう大丈夫だ」と。
しかし、その試練は救われたと感じた後にやってきます。なんだか、信じても落ち着かない、集まりの方向性に違和感を覚えても、そのときには断れない雰囲気が生まれてしまっているかもしれません。この人に逆らうと、この教えに逆らうと、この集まりの方針に逆らうと、と考えて相談をしようにも、今度は自分が滅ぼされてしまうという恐怖心が生まれてしまうのです。そして異を唱える勇気も出ず、結果的に逃げ出すこともできないまま、苦しんでいくという形です。
信仰生活にヒーローはいません。ヒーローとは人々の代わりに敵と勇敢に戦い、勝利した人が人々にそう呼ばれているだけです。私たちは日々の罪との戦いをキリストに丸投げできるわけではありません。キリストによって力を与えられた者が罪へと誘うサタンと戦うのです。
終わりの日まで戦いは続きます。今日もまた、キリストの砦に引き返し、立ち向かう力を得ます。私から出る力では適わないですから。
主にあって、その大能の力によって強められなさい。
悪魔の策略に対して堅く立つことができるように、
神のすべての武具を身に着けなさい。
エペソ6:10-11