エペソ3:18~19
すべての聖徒たちとともに、その広さ、長さ、高さ、
深さがどれほどであるかを理解する力を持つようになり、
人知をはるかに超えたキリストの愛を知ることができますように。
正教師になって初めて礼拝の講壇に立ちました。先週は東京帰りということと、説教担当ではなかったこともあり、礼拝堂に入らず、2階のバルコニーで礼拝をささげました。
バルコニーでの礼拝はとても新鮮で、家族3人が揃って同じ場所で礼拝をささげられる喜びがありました。その一方で礼拝の場に距離を置いていることは寂しさを感じることもまた事実でした。できるなら、按手を受けた喜びを分かち合いたいと願いながらも1週間は自粛をし、ようやく前回の礼拝で講壇に立つことができました。
正教師として初めて立った講壇は期待よりも緊張が勝りました。それは自分の成長を感じたからではありません。主に委ねられた重さが増し加えられたことを感じたことによる緊張でした。
教会に遣わされ、必要な役割を部分的に担う補教師とは違い、教会全体を見渡し、霊的責任をもって礼拝や教育や交わりを行う重要性がより深く理解したからこそ、その価値に重さを感じました。
祝祷の際に上に伸ばした手が少しだけ震えたのは後奏の長さに肉体が反応したからではなく、聖書のみことばをなぞって読むことを超えて、主のことばを担い伝える重要性とその偉大さが伝わってきたからでした。
神を知ることは愛と恵みを知ること。
神に委ねられた使命の大きさを知ること。
2021年4月4日 公開