1テサロニケ 5:16~18
いつも喜んでいなさい。
絶えず祈りなさい。
すべてのことにおいて感謝しなさい。
私の故郷に同じ教団の教会ができ、開所式が行われるということで、急遽帰郷し、開所式に出席してきました。30年間で人口が4割以上も減少し、高齢化が著しい町で開拓するという話を耳にしたとき、驚きと喜びが湧き起りました。
ただ、実情は喜びと表現するにはあまりにも過酷な状況があったのです。会堂を用いてほしいと願っていた人の打診からは20年が経ち、会堂は住める状況ではありませんでした。
町内の別の場所で、信徒伝道者によって行われ始めた日曜集会も閉鎖して18年ほど経っていて町で見つかるクリスチャン家庭は実家だけになっていました。
加えて、宣教のために移住した宣教師のご主人が脳梗塞で寝たきりとなり、毎日の介護と看護が必要な状況となっています。
しかし、未来に対して悲観的になるのではなく、この地において宣教の扉が開かれたことに対する喜びが勝っていたのです。誰一人、会堂の維持や礼拝の継続についてうなだれる者はおらず、これから先に起こされる救いの御業に期待をしていました。
教会は宣教の拠点、救いの鍵をもつ大きな門です。だからこそ、使命に生きる喜びを味わう場所でありたいと感じました。
苦しみが取り除かれることが救いなのではなく
苦しみを超える希望を与えられるものである