マタイ4:20-21
「私について来なさい。人間を取る漁師にしてあげよう。」
彼らはすぐに網を捨ててイエスに従った。
クリスマス集会を行いました。毎年、賛美とメッセージに加えて、参加者からクリスマスのエピソードを分かち合ってもらっていますが、今年度は少し志向を変えて、「クリスマスの失敗」について話してもらいました。
キリストを知らないままにクリスマスを迎えるなら、それは単なる行事であり、参加するかしないかとなります。結論は楽しいか楽しくないかくらいしかありません。
しかし、教会で様々な企画や備えをしていく中で、自分の甘さや不完全さを知っていく時、クリスマスの失敗が生まれます。
ある方はこのように言いました。「今日はいつもの学び会だと思って来ました。聞いていたはずなのに。いやー、それが失敗です。」別の方はこのような話をされました。「昔、教会で行っていたパーティーで、食べ物ばかりに気を取られていた自分がいた。」
どちらも、大した失敗とは思えないほどですが、そこに自分の心が神に、救い主の誕生に向いていなかったことに気付き、失敗談として話してくれたのです。
それは、キリストの誕生の恵みを知ったからこそ、その喜びや楽しみが別物であると認め、神に立ち返ることができた証です。
失敗は本来の価値に気付いた証であり
失敗と認められる柔和さの現れである