みことばはみがき No.37

   マタイ4:20-21
   「私について来なさい。人間を取る漁師にしてあげよう。」
    彼らはすぐに網を捨ててイエスに従った。

 クリスマス集会を行いました。毎年、賛美とメッセージに加えて、参加者からクリスマスのエピソードを分かち合ってもらっていますが、今年度は少し志向を変えて、「クリスマスの失敗」について話してもらいました。

 キリストを知らないままにクリスマスを迎えるなら、それは単なる行事であり、参加するかしないかとなります。結論は楽しいか楽しくないかくらいしかありません。
 しかし、教会で様々な企画や備えをしていく中で、自分の甘さや不完全さを知っていく時、クリスマスの失敗が生まれます。

 ある方はこのように言いました。「今日はいつもの学び会だと思って来ました。聞いていたはずなのに。いやー、それが失敗です。」別の方はこのような話をされました。「昔、教会で行っていたパーティーで、食べ物ばかりに気を取られていた自分がいた。」

 どちらも、大した失敗とは思えないほどですが、そこに自分の心が神に、救い主の誕生に向いていなかったことに気付き、失敗談として話してくれたのです。
 それは、キリストの誕生の恵みを知ったからこそ、その喜びや楽しみが別物であると認め、神に立ち返ることができた証です。


    失敗は本来の価値に気付いた証であり
    失敗と認められる柔和さの現れである