みことばはみがき No.67

   使徒 21:13
   すると、パウロは答えた。
   「あなたがたは、泣いたり私の心をくじいたりして、
    いったい何をしているのですか。
    私は主イエスの名のためなら、
    エルサレムで縛られるだけでなく、
    死ぬことも覚悟しています。」

 休暇から岡山へ戻ってきました。北の大地から真夏の晴れの国に戻ってくると温度の違いに苦労しましたが、抗原検査を自主的に行い、陰性反応が出て、ひとまず安心しています。
 不思議なもので、岡山に戻って来ると途端に教会の働きであれをしなきゃ、これをしなきゃと考え始めるのです。実家にいる時は家族のことを考え、連絡があるときにほかを考えていました。

 思い返すと私にとって、その場所に行く、その場所に住むというのはそれぞれの地において新しい出会いや働きがありました。北海道時代は家族と家業、大学時代は留学生や国内外の旅、タイ時代はキリストとの出会いや献身、神学校時代は宣教と結婚、そして岡山では牧会と育児。はっきりとした特徴をもつ中で様々な出会いと交わりが与えられてきました。

 このような独特な歩みであっても、すべてが糸でつなげられているようでした。どれか一つが欠けていたらこのような歩みにはならなかったと思うほど、神の計画の確かさと賢さを感じざるを得ません。主は私よりも私を導いているのだと感じています。


 なすべきことをなすためにここに居り
 なすべきことがあるためにそこへ行く