ガラテヤ 3:26
あなたがたはみな、信仰により、
キリスト・イエスにあって神の子どもです。
北海道に息子を迎えに行きました。二か月ぶりに会った息子の表情はとてもうれしそうでホッとした半面、ちょっと時間が経つとなんでいつもと違うの?という表情も表すようになりました。
お世話になった家族と離れる時に悲しむほど、状況をよくつかむことはできていなかったため、意外と移動はスムーズでした。
しかし、家に帰って来ると、その穏やかな状況は一変しました。そこには自分よりも幼い弟の姿があったからです。今まで生で見たことのなかった弟の存在と今まで自分中心に動いていたはずの親の様子に明らかに動揺していました。
自分のことを見ていた両親が小さな子どもを抱っこし、自分が使っていたはずの哺乳瓶を加えて飲んでいる弟に、まるで何かを奪われたかのように大声を上げて号泣したのです。
痛みではないものでこれほどまでになく息子を今まで見たこともなかったため、私も動揺しました。切替ながら、息子たちを別室にして寝かせることにしました。
家族を受け入れることは、目の前も現実があっても受け入れることが困難な時期もあるのだと身をもって知りました。それはやはりこれまでの関係が変わってしまうからなのだと思いました。
生まれれば家族となるわけではなく
関係を受け入れることで家族となる