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ことばの栞 20240317

「賛美のささげ時」 レビ記 19:23-25
 桃栗三年柿八年。新しく植える株は1、2年で小さな実りを迎えますが、株全体が強められるためには、3年待つべきという教えです。聖書でも同じように3年間は禁断のものとして、実を食べないようにと教えています。
 コロナ禍での数年間、賛美をしたくてもできない状況がありました。「したい」よりも「ならないように」を考える生活が続きました。昨年の後半から「やってみよう」と言える状況になりました。

 賛美とは神との関係を喜ぶという意味を含みます。人は神を賛美することでその関係を喜び、神は賛美と同じ言葉である祝福を与え、人との関係の喜びを表現されます。
 賛美にはささげ時があり、その時が来るまでは神の契約のうちにないものと主は語ります。時が満ちるまで、待つことを求められますが、私たちは早く収穫したい、報告したいと焦ることでしょう。
 そのような時、私たちが「良かったね」と言われることを求めていたのだと気づきます。主はその実が充実することだけを喜ぶのではなく、主のものとして取り分けておくことを喜ばれます。

 主にとって、最も価値のある実りは収穫をささげるあなた自身です。主との契約に従って実りを待ち、その実りをささげものとし、ともに主の前に出て主をほめたたえるあなたこそ、まさに賛美のささげものなのです。
 この歩みを恐れることはありません。主はあなたに損をさせるような方ではありません。主とあなたとの親しい信仰の交わりの後、さらなる収穫を与えてくださると約束されているからです。

ことばの栞 20240310

「伝える強さ・委ねる強さ」 2テモテ 2:1-7
 働きの時間には限界がありますが、その働きを他の人に委ねようとすれば、教えるのに時間がかかり、違うやり方にイライラし、思っていた結果に辿り着けないかもしれません。アドバイスを続ければその人は挫折をし、やめてしまうこともあるでしょう。

 パウロはテモテに強くなりなさいと語ります。テモテはエペソで様々な経験を積み、多くの働きに従事していたことでしょう。彼はあらゆることを上手にこなすことができるようになっていたでしょう。
 ただ、この強さは能力ではなく、意志の強さでした。テモテはすでに教える力を持っている人や信頼できる人がいるにも関わらず、自分の描いた結果からずれることや教えることの難しさを知ったことで、委ね切れていない状況がありました。

 パウロは兵士にたとえて、なすべきことの優先順位を守ること、守らなければ最も大切な使命を果たすことへの妨げとなってしまうことを指摘しました。
 パウロが宣教者として最前線に立っていたように、テモテもキリストの召された兵士として最前線に立つべき人でした。戦いの中にある人は他人のことや兵士を集めることばかりに気を取られていては戦いそのものに勝利できなくなってしまいます。

 主に仕える召しに応えるためには、たとえその結果が良い方向へ行けないとしても委ねるべきことがあります。周囲からの評価も悪くなることでしょう。しかし、主に立たされるものはその中心の役割を全うすべきです。そのように労苦した人に対して、主は必ず収穫の分け前を与えてくださいます。

ことばの栞 20240303

「宣教への召し」 使徒の働き 16:1-5
 パウロとテモテとの関係は宣教師と信徒、同労者、囚人と牧会者と変化していきました。彼らの出会いと召しに注目してみましょう。
 テモテに出会った時のパウロが抱いた印象や思いは聖書には記されていません。周囲から評判の良い青年であったとだけ記録されています。特にテモテは町や年代を超えて、多くの人が信仰者として名誉のある人だと評価されていました。
 パウロは「この」テモテを、宣教の同労者として同行させたいと声をかけました。テモテにとってはパウロが偉大な使徒であることは理解していたとしても、まさか自分が宣教への召しを、しかもパウロの口からその召しが与えられるとは思ってもいなかったことでしょう。
 さらに宣教の準備として受けた指示は、割礼を受けることでした。母はユダヤ人でしたが、父がギリシア人であるテモテは割礼を受ける必要はありません。加えてパウロはテモテを連れて行って伝えようとしていることは、異邦人は割礼を受けなくてもよいという内容でした。
 パウロは割礼が信仰のしるしではなく、ユダヤ民族・文化のしるしとして捉え、テモテが受けることで、ユダヤ人たちが彼を同じ仲間だと考え、聞く耳を持つことを理解したのです。
 テモテにとって、宣教への召しは突然に、人を通して与えられました。彼はパウロの声かけを召しだと確信したのは、日々主とともに歩んでいたからです。また、召しの働きのために備えがあり、それに従うことで、宣教はさらに豊かなものとなり、多くの人々を導くことができるようになります。
 私たちも宣教の召しへ応答する備えを始めましょう。

ことばの栞 20240225

「熱心な交わり」 2テモテ 1:15-18
 パウロはテモテへの励ましとして、家族から伝えられた信仰の確かさ、神の召しとその計画の力強さに続き、熱心な交わりを持ったオネシポロの行いについて取り上げます。
 この手紙が届けられた時には、テモテはパウロに会うことはできず、ただパウロの無事を祈ることしかできなかったことでしょう。パウロが捕まった影響はテモテだけでなくエペソの教会にも及んでいました。

 教会から離れていった兄弟たちに対してパウロは寂しさを感じていました。それでもなお教会から離れず、むしろパウロを励まそうとしていたオネシポロの行動をパウロはこの手紙を通してテモテにも伝え、励ましたかったのです。
 オネシポロはもともとエペソの教会で奉仕していました。彼はパウロが捕まってもそれを恥と思わず、むしろローマに行き、捕らえられていたパウロを見つけるまで、くまなく町中を探し回りました。

 それはオネシポロ自身の身にも危険が及ぶ可能性のある行動でした。手紙の最後にオネシポロの家族によろしくと伝えていたことから、オネシポロがエペソに戻っていないことがうかがい知ることができます。
 彼の行動は、パウロに対する親しみだけで行っていたのではなく、主への信仰によって、ともに主に仕えるパウロへの熱心な交わりのかたちとして行っていました。

 宣教は時に苦難を伴い、それによって離れる人もいます。しかし、離れない者との交わりは親しみに加えて、それ以上の信仰による交わりがあったからそこ、熱心な関わりが続けられたことでしょう。
 主にあって愛し合うためには親交だけではなく信交が欠かせません。

ことばの栞 20240218

「恥のない苦しみ」 2テモテ 1:9-14
 処刑という人生で最も大きな苦しみが目前に迫っているパウロは、自らの苦しみは神を信じ、救われ、神の計画と恵みのうちに召されたゆえに受けているものだと語ります。
 神は救いを与えるだけでなく、その後の歩みとして、ともに歩むことへ招き、神の計画にともに仕える役割に召してくださりました。

 本来であれば全能なる神ご自身で行うことができるのにも関わらず、一人一人を召してくださるということは、計画の達成だけが目的ではなく、それぞれとともに歩み、共同奉仕したいと考えておられます。
 この計画は予め神によって計画され、キリストの十字架の死と復活によって確かなものとされ、神との関係に生きるいのちが不滅であることが示されました。パウロはこの福音に生きようと決心しました。

 人は何かを決心しそのために歩もうとすれば必ず壁に当たります。もし何の壁も当たろうともせずに避けて生きていくなら、最終的に引きこもりになってしまうでしょう。
 パウロは福音に生きたからこそ、それに伴う苦しみをも受け入れました。伝道旅行などの際に多くの迫害や身の危険も経験してきました。
 それでもパウロはこの苦しみを恥とは思いませんでした。なぜなら自分の働きの結果、このような苦しみを受けることが恥なのではなく、神に背き、傷つけてきたことが恥だということを知っていたからです。

 主の教えは苦しみを避ける手段ではありません。しかし、乗り越えるためのカギとなるでしょう。イエスキリストが示してくださった愛と信仰のうちにある健全な教えを手本とし、福音に生きる上での苦しみを受け入れ、主に信頼するための通過点としましょう。

ことばの栞 20240211

「友としての施し」 2サムエル 9:1-13
 福祉の対象者は誰でしょうか。福祉デーとしてテーマを掲げた礼拝ですが、福祉と聞くと、高齢者、児童、障がい者というイメージを抱きやすく、一人で生活するのが難しい人をサポートする働きやサービスと考えるのではないでしょうか。

 この聖書箇所も、足の不自由なヨナタンの息子メフィボシェテをダビデが世話をすることになるため、弱い者を助ける福祉という捉え方を安易にしてしまうかもしれません。

 しかし、ダビデの働きの始まりは違いました。ダビデはメフィボシェテや周囲の人に頼まれたから彼を世話したのではなく、友であるヨナタンとの約束を果たすために、愛を注ぐ相手を探し求めたのです。
 ダビデは決してメフィボシェテを弱い者として憐れみをかけて助けたのではありませんでした。ただヨナタンとの契約の対象者として、彼の素質や能力、身体の特徴に関係なく、淡々と手続きを進めました。

一方ではメフィボシェテは自分が王の施しを受ける資格はないと考えていました。自分のことを「死んだ犬のような私」と表現していました。もちろん、ダビデとヨナタンがそのような契約をしていることなど知るはずもありませんでした。それでも、メフィボシェテはダビデの施しを拒むことはなく、ともに食卓に与る者となりました。

 福祉とは、弱い者を助けるための憐れみの行いではなく、愛されるべき者を愛す行いです。ダビデはヨナタンに注ぐことができなくなった愛を、彼の家族に注ぎました。私たちも、親や子を愛するように、他者を愛し、施し、また施されてよいのです。受ける者に必要なことは受け入れると宣言するだけで、自分を卑下する必要はないのです。

ことばの栞 20240204

「愛の霊の証人」 2テモテ 1:6-8
 最後の手紙を記す中で、テモテを励まそうとするパウロは家族に伝えられた信仰が確かなものであると伝えたように、牧会者として伝えたかったことがあります。
 それは、神が与えた牧会者としての賜物であり、宣教者として按手を受けた際に与えられた、責任と権威です。パウロはテモテが宣教に燃えていた信仰が、現地で仕えていく中で、挫折を味わうことを思い、その燃やされていた賜物がふたたび燃え立たせられるように励ましたいと願っていました。

 自分の力で事を進めようとすれば、その火は消えかかり、自分の内へと霊を閉じ込めてしまうかもしれません。しかし伝道者としての歩みへと招き、召命を与えたのは神です。神ご自身が、霊としてテモテとともにおられ、テモテの働きを通して相手へ働かれているのです。

 テモテに与えられた賜物はテモテの力を強めるものではなく、神ご自身が働かれる力と愛と慎みの霊なのです。ですから、自分の力に頼らず、うちに働かれる神に寄り頼み、仕えていくことができるのです。
 霊を受けた者は自分の弱さに臆病になる必要はありません。心の弱さに勝る、神の励ましと強めがあり、キリストを待ち望む期待と希望が消えることなく灯され、福音宣教における苦しみを一人で味わうこともありません。あなたの内におられる神の霊がともに苦しみを味わい、分かち合い、慰めてくださっているのです。

 伝道は自分の力だけで行うものではありません。むしろ、神の力に信頼して、神に用いられる共同奉仕であり、証です。その喜びをもって私たちに与えられた使命である伝道を全うしましょう。

ことばの栞 20240128

「信仰の継承」 2テモテ 1:1-5
 時が良くても悪くても、みことばを宣べ伝えないとテモテに語ったパウロの真意はどのようなものだったのでしょうか。私たちはその真意を学び、実践していきましょう。
 第2テモテはパウロがローマの獄中から一度解放され、再び捕らえられた、処刑を悟りながら待つ獄中でテモテに向けて記されたパウロの最後の手紙です。
 これからこの手紙を読む上で、4つのキーワードに着目しましょう。それは①教理②信仰③忍耐④愛です。教えられたしっかりとした教えんの上に立ち、様々な困難や迫害の中で恥じることなく、確信をもって耐え忍び、愛し合うこと、その視点をもって読み進めましょう。
 パウロは伝道旅行中、リステラでテモテと母ユニケ、祖母ロイスに出会い、その後テモテに割礼を施してまで、宣教旅行に同行させ、牧会者として大きな影響を与えつつ、テモテと親しくしてきました。
 それでも、テモテの信仰は母と祖母の教えが土台であり、その信仰は確かなものであると告白しました。テモテもパウロと同じように主につかる伝道者でしたが、テモテに伝道したのは母と祖母でした。
 パウロにとって主に仕える旅をしている者も伝道者でしたが、家の中で子に信仰を伝えていたものもまた伝道者として見ていました。形は違えども、同じキリストを信仰する者として伝道する使命を全うしてきたことをはっきりと認めたのです。それが死を前にしてもなお、テモテに伝えたかったことでした。
 私たちも信仰を持つことでその歩みを終えてはいけません。伝道者としてあらゆる形でキリストを伝える使命があることを覚えましょう。

ことばの栞 一覧(ローマ人への手紙)

20231112
ローマ 16:17-27
「つまずきを警戒せよ」

20231029
ローマ 16:1-16
「すべての教会がよろしく」

20231022
ローマ 15:22-33
「計画の共有」

20231008
ローマ 15:14-21
「ささげものとなるために」

20230924
ローマ 15:1-13
「心を一つにするために」

20230910
ローマ 14:13-23
「霊的成長の追求」

20230903
ローマ 14:1-12
「生きるにしても死ぬにしても」

20230827
ローマ 13:1-14
「光の武具を身に着ける」

20230820
ローマ 12:1-21
「神に喜ばれる信仰生活」

20230806
ローマ 11:25-36
「満ちる時が来るまで」

20230723
ローマ 11:1-24
「ねたみを起こしてでも」

20230716
ローマ 10:1-21
「信じて義、口にして救い」

20230709
ローマ 9:19-33
「憐れみの器」

20230702
ローマ 9:1-18
「憐れみによるもの」

20230618
ローマ 8:31-39
「圧倒的勝利者」

20230604
ローマ 8:18-30
「御霊のとりなし」

20230528
ローマ 8:12-17
「神の子とされる御霊」

20230521
ローマ 8:1-11
「いのちの所属」

20230507
ローマ 7:14-25
「心とからだの不一致」

20230430
ローマ 7:1-13
「罪を罪とする戒め」

20230423
ローマ 6:12-23
「罪の奴隷と義の奴隷」

20230416
ローマ 6:1-11
「新しいいのちに歩む葬り」

20230326
ローマ 5:12-21
「一人の人によって」

20230319
ローマ 5:1-11
「和解への希望」

20230312
ローマ 4:13-25
「約束実行力」

20230305
ローマ 4:1-12
「神に義と認められる幸い」

20230226
ローマ 3:21-31
「神の恵みによる義」

20230219
ローマ 3:1-20
「律法と罪の意識」

20230212
ローマ 2:17-29
「心の割礼」

20230205
ローマ 2:1-16
「忍耐と寛容の食卓」

20230129
ローマ 1:18-32
「恥ずべきものに引き渡される神」

20230122
ローマ 1:16-17
「福音信仰宣言」

20230115
ローマ 1:8-15
「伝えたい福音」

20230108
ローマ 1:1-7
「選び出されたしもべ」

ことばの栞 20240121

「3つの関係」 1ヨハネ 3:1-2

 私たちはどの地域に住むにせよ、人との付き合い方に恐れを抱いたり、社会や学校、家庭内の自分の価値を低く感じてしまったり、先の見えない生活に不安を抱くことがあるでしょう。

 その根底にある思いには、人に傷つけられたくない、これ以上傷つきたくないという思いです。現在の日本は、人付き合いしなくてもいい社会や生活ができあがりつつありますが、その恩恵を受けている人であっても、心のうちでは、「人と関わりたいけれども、傷つきたくない。でもそんな私の存在を認めてほしい」「部分的には華やかに彩り、ネットにアップするのは楽、でもその裏で地味で面白くない生活や性格の自分全体を受け止めてほしい」と思っていることでしょう。

 神はそんな私たちを子どもとし、終わることのない親子の関係を結んでくださりました。私たちを愛するがゆえにキリストを遣わし、愛を示してくださった神と私たちとの関係を知らなかったのは、私たちが神と神の愛がどのようなものか知らなかったからです。

 この愛を知ることと神を知ることは同じです。愛することのない者は神を知らないと記されています。愛は人に生きる力を与えます。その愛を知るためには人と関わり、人を愛さなければなりません。だからこそ人と関わる決心をしなければなりません。

 私たちは愛を知るために「私はあなたの愛を受け入れます」と他者に宣言しましょう。受け止める人がいてこそ、安心して愛せるのです。たとえ不完全な愛し方であっても、その愛の源はすべて神から出たものです。愛することで神が私たちをどれほど愛していたかを知ることができるのです。信仰とは私たちの愛を支える神との関係なのです。