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光テラス No.8

5月27日
 深夜、私たちが寝入っている中で、玄関のインターホンがなりました。私も夢かと思いながら軽く着替え、下へ降りて玄関のドアを開けました。こんな時間に来るなんて一体どういう用事だろうとか不審者で危険だったらどうしようという不安もよぎりました。
 ドアの前には一人のクリスチャンが立っていました。弱々しい目で私を見つめ、話を聴いてくれないかと何度も頼まれ、私もどうしたらよいのかわからないまま、その姿を見てかわいそうに思い、中へ招き腰掛けてもらうことにしました。
 初めは病気のこと、家族のことや教会のことを聞いて、深夜でありながらも何か出来事のヒントを得ようと病院や教会に電話をしてみましたが、よい情報は得られず、八方塞がりの状況でした。
 何もできない私はただ話を聴くだけしかできませんでした。しかし、そこに神様の働きと導きがありました。悩みや不満の中から少しずつ神様への信頼や家族への愛情が見え始め、次第に顔に明るさを取り戻していき、家を抜けてきたにも関わらず自ら家に帰ると語ったのです。
 暗闇の中で教会に来て、光に照らされて自らの家・この世へ派遣されていく神様の圧倒的な働きを目の前で見て、感謝の気持ちであふれました。祈りの後、私はその人と一緒に話しながら歩き、家まで送り、主をほめたたえながら教会へ戻ってきました。

 あなたがたが私に呼びかけ、来て、私に祈るなら、私はあなたがたに耳を傾ける。あなた方が私を捜し求めるとき、心を尽くして私を求めるなら、わたしを見つける。
エレミヤ書29:12~13

光テラス No.7

5月20日
 母の日の少し前、北海道にいる母親から連絡が来ました。昨年末に私が帰省した際に、母親が所属する商工会女性部の北海道大会があることを聞き、スピーチを準備していました。しかし、なかなか原稿がスピーチのようにインパクトが出ないことに悩んでいたため、私も母親の手伝いとして原稿を添削しました。
結果は優秀賞!最優秀賞とはいきませんでしたが、達成感があり、満足した母の様子が電話から伝わってきました。私もその話を聞いてうれしくなりました。それは私の添削で賞が取れたという思いではありません。自分の息子や周りの人にまで頼んでよいスピーチを準備していた母の姿勢に感動したのです。聞けば父親や周りの人にスピーチを聞いてもらって本番に臨んでいたそうです。
その姿に私自身も省みることになりました。「ほどほど」や「バランス」をとる生活を考えたために、「やる時はやる」の「やる時」を見失ってはいないだろうかと…。「やる時」を見つけたとき、夢中になって走るその人はなんと輝いていることでしょう。
 大人になっても一生懸命に努力する姿は、決してかっこ悪いものでも、滑稽なものでもありません。私も天の神様に向かってひたすらに走り続けたいと、母の姿に魅せられました。

 競技場を走る人たちはみな走っても、賞を受けるのは一人だけだということを、あなたがたは知らないのですか。ですから、あなたがたも賞を得られるように走りなさい。
1コリント9:24

光テラス No.6

5月13日
 雨上がりの朝に庭のプランターの草取りをしました。桃の木と同じところにはヨモギが植えられていて、かなり高い位置まで伸びていました。ネギが伸びていたものにもとても三つ葉が生えていました。そこで私は桃の木以外の草をすべて取り除き、有機肥料を加えました。三つ葉やヨモギも食材として使えるのは知っていましたが、量も多いので今回は諦めました。今ではプランター周辺もすっきりして実もまずまず大きくなり始めていて、5cmくらいのものも見えてきました。
 そのとき、私は大切なものを守るために、他のものを取り除く神様の姿が浮かんできました。出エジプトしたイスラエルの民たちを約束の地へと導いた神様は、そこに到着した際、先住していた民族との戦いを勝利に導き、その土地をイスラエルの民に与えました。それは決して負けた民族が要らなかったからでも、罪深さゆえの裁きでもありません。神様の計画の中で最も重要な民族であったイスラエルを守り導くために、その時は他の民族を取り分ける必要があったのです。
 イスラエルの民に土地を奪われたカナン人ですが、その後、カナン人の女性が悪霊に取り憑かれた娘を癒すためにイエスのところへ行き、ひれ伏して、「主よ。私をお助けください。」と叫びました。イエスは「あなたの信仰は立派です。」と言って、彼女の娘を癒されました。神様は確かに、取り除けた者たちへも恵みと癒しを与えてくださるお方でした。神様から見離されたまま歩む人などいないと感じた瞬間でした。

 主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな。
ヨブ記1:21

光テラス No.5

5月6日
 韓国と北朝鮮の首脳が会談をし、長らく休戦状態であった朝鮮(韓国)戦争を年内に終戦させ、平和協定を結ぶことを視野に入れています。日本で育った私は、へぇ~、また何か仕掛けるのか?と懐疑的な第一印象を持っていましたが、隣で小躍りしながら、大きな声で「戦争が終わる~~!!」と喜んでいた妻があまりにも印象的でした。
 朝鮮(韓国)戦争は私や妻の生まれる前の出来事ですが、その和解ができない影響は今も北緯38度の軍事境界線という形で残っています。その和解は今の世代・政府へと委ねられています。現在韓国国民の多くが和解に希望と期待を持っていることが伺えます。それほど、代表者同士による和解が朝鮮(韓)半島に住む人々の平和に大きな影響をもたらすことを当事者である彼らは知っているのだと感じました。
 イエス・キリストはまさに人類全体の代表、神様はこの世界の創造者であり、統治者です。そのキリストの十字架とよみがえりの働きによって、私たちが生まれる前の罪深い出来事であるアダムの罪(原罪)と現代に生きる一人一人が個々に犯してきた罪(現罪)が赦され、神様と平和協定を結べたことはどんなに大きな恵みでしょう。人間と神様を隔てていた境界線を越えて私たちを神の家族としてしてくださったことに心から感謝しています。朝鮮(韓)半島にも御霊による和解が与えられますように。

キリストを通して、私たち二つのものが、一つの御霊によって御父に近づくことができるのです。あなたがたは、もはや他国人でも寄留者でもなく、聖徒たちと同じ国の民であり、神の家族なのです。
    エペソ2:18~19

光テラス No.4

4月29日
 日曜日の夜、藤を見に和気町に行ってきました。まだ5分咲きではあったものの、棚に並ぶたくさんの藤の姿がライトアップされ、幻想的であり、自然の壮大さや恵みを感じるときとなり、心がいっぱいになりました。全体を見渡すと一面が藤棚ですが、間近で見るとまた違った味わいを醸し出します。どの木も違った場所から植え替えられ、種類も花の色や形などの特徴も違いました。
 私たちの信仰も同じようなものです。神様の国で土から芽を出し、大きくなる木もあれば、別のところで植えられ、その後神様の国の中に植え替えられた木もあります。違った藤もまとまって植え替えられればそこは藤棚になり、藤畑と呼ばれるように、私たちがどのような背景を持っていたとしても、神様の国に植え替えられれば、それは全て天国の木(クリスチャン)と呼ばれるでしょう。
 一本の木を見比べてみるとまっすぐ伸びているものもあれば低い木もあり、花がたくさん咲いているものもあれば、少しだけのものもあります。しかし天国ではそれに優劣はなく、全てが同じ神の国の土地で養われていることに祝福があります。
 時には私も元気がなくなり、別の土地に行きたいと感じてしまう誘惑に駆られますが、それでも神様の国で安心して心穏やかに過ごせる恵みは代えることができないものだなと感じます。

わたしはぶどうの木、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、
わたしもその人にとどまっているなら、その人は多くの実を結びます。
わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないのです。
    ヨハネ15:5

光テラス No.3

4月22日
 就任式が終わって、赤磐市にある他の2つの教会へ挨拶を兼ねて訪問してきました。桜が丘キリスト教会は日本同盟基督教団という教会グループ(いはゆる教団)に所属していますが、他の2つの教会はそれぞれ別の教団に所属しています。それぞれが特色をもった教会・教団です。信仰の内容はほぼ一致していても特に大切にしている点や目指すべき方法、手段は必ずしも同じではありません。時には真逆の考え方を持っている人たちにも出会うかもしれません。そんなときにふと、このような疑問が浮かんできます。「何か間違っていない?聞いていたのと違うけど…。」
 世界を歩けばさまざまな文化があるように、教会や信仰にもその背景や文化が反映しています。実はイエスさまの弟子たちもそれまでは漁師や徴税人、熱心党というグループに属した人がいて、考え方も生い立ちもバラバラでした。聖書の中でもよく意見がぶつかっていたことが記録されています。しかし彼らはイエスさまに従う者として心を合わせて歩んでいました。イエスさまは彼らを否定するのではなく、神の使徒として一緒に歩み、よみがえりの後、あらゆる国々へ遣わしていきました。
 私も独特な背景を持って教会に来ます。できないこと、弱さ、失敗など、さまざまな思いを抱えながらも、そのままでいいよ、神様のふところで安らぎなさいと招かれていることにホッとしています。

しかし、人は律法を行うことによってではなく、ただイエス・キリストを信じることによって義と認められると知って、私たちもキリスト・イエスを信じました。    ガラテヤ2:16

光テラス No.2

4月15日
 ベッドや必要な家具を買いに大型家具店に行ったときのことです。二人分のベッドを買うお金はかなり高額になるので、二人とも安いものをいろいろ考えつつ、使いやすさなどを考えて選んでいました。そして10分ほどで出た結論は、フレーム(枠)はシンプルなものでマットレスはある程度しっかりしたものでした。二人の見解が一致したため、すぐにベッドの選定が終わりました。
 ポイントが貯まったため、せっかくだからクッションの一つくらい買おうということになり、それぞれでさわり心地やカバーの色などを選び始めました。しかしなかなか二人の意見が合いません。全然合いません。話を聞いてみると、部屋に置くのだから可愛らしいものがいいという妻の意見は、ポイントで買うのだから安いものでシンプルなものがいいという私の意見の違いがあることがわかりました。
 改めてどう選ぶのかを二人で話し合いました。そこでまとめた意見が、クッションを2つ買うこと、高くないこと、落ち着いた雰囲気のもの、そして中身の素材は妻が決めることになりました。その結果、同じ柄のものを買うことになりました。
何も共有せずに選び始めても、まとまりませんでしたが、軸を決めることで納得の行く答え(買い物)にたどり着きました。人生の歩みもまた、神様の計画という軸をしっかりと決めておかないと、自分勝手に選んで、結局答えの出ない迷路に迷い込むのかもしれません。

まず神の国と神の義を求めなさい。そうすればこれらのものはすべて、それに加えて与えられます。
マタイ6:33

光テラス No.1

4月8日 
 赤磐市桜が丘にやってきてばかりの時にはつぼみの状態だった桜が10日ほどで華やかなピンクの彩りも散り始め、葉桜になりつつあります。
 それに比べて私たちの生活はまだまだ始まったばかりで、ご近所付き合いの始め方でも戸惑い、ようやくゴミだしを機に始まるところという段階です。なんとか部屋の荷物も整理され、私たちの心も落ち着き始めています。それでも、食事を取った後にしばし静まって聖書を読む時、私たちの日々の生活が神様の計画のあることを実感します。結婚してまだ1年、しかも半年はビザの事情もあり国を離れて暮らしていた私たち夫婦は夫婦生活も始まったばかりで、ぶつかることがあります。これまでの過ごし方、考え方、今の状態、これからのこと…。考えれば考えるほどぶつかることも多く、互いを受け入れるまでに時間がかかることもありました。(日々反省です…)
 聖書の言葉には「あきらめる」言葉がありません。神様はいつでも、どんなときでも、私たちのことを見放さず、神様のもとへ帰ってくるのを待っていらっしゃいます。私たちにとっては新しい地へ招かれ、教会の方々にとっては新しい人が招かれ、お互いに戸惑いが生まれることもあると思います。そんなときはまず、祈りたいものです。人が集まり、祈るとき、そこには神様がおられ、導いてくださるからです。

二人か三人がわたしの名において集まっているところには、わたしもその中にいるのです。
マタイ18:20

光テラス No.0

桜が丘キリスト教会に赴任した教師が生活していく中で感じたことを綴ったエッセイです。
教会の方に向けて週に1度のペースで更新しています。
ブログでは生活環境の違いによって受け止め方が違うかもしれませんが、
神様とともに生きようとする一人のクリスチャンの心のあり方を垣間見て親しみを覚えてくだされば幸いです。
今後、週1のペースで更新いく予定です。

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