「神に喜ばれる信仰生活」
ローマ書の前半で、ユダヤ人も異邦人も同じ恵みを受けていること、福音は最終的にすべての人に伝えられ、信仰によって義とされた人はみな救われるとパウロは語りました。
そして後半では、パウロは神に喜ばれる信仰生活について語ります。特にこの章ではその信仰生活の目指すところとして、まず神の前に謙り、自分自身をささげることだと示します。
キリスト者たちはもともと神のからだの一部とされたのですから、一つ一つの器官はかしらの働きのために用いられるべきものです。この世をかしらとして流されないように見極めなければなりません。
神に対する私たちの心の態度をかたちにすること、それが信仰生活であり、かたちのない霊的な「信仰」をかたちのある「生活」へと適用して毎日を歩むことが、神に喜ばれる歩みであり、礼拝なのです。
信仰生活は相手ありきのものであり、自分自身の願っている優秀な結果へ導くために彩りをつけるものではありません。からだ全体、すなわち神に生かされている者たち全体でその働きに仕えるものです。
そして信仰生活の目指すところは神を愛し、隣人を愛することです。神を愛するために善と悪を見分け、善を求める歩みをしなければなりません。また、神に用いられることを喜び、苦難に耐えつつ祈り、熱心に奉仕しましょう。
隣人に対しては兄弟愛をもって味方として受け入れ合い、恨みや復讐心は主に委ねられるように関わりを探り求めましょう。私たちは敵を愛し、罪人のためにいのちをささげたキリストをかしらとする、からだなのですから。