「宣教への召し」 使徒の働き 16:1-5
パウロとテモテとの関係は宣教師と信徒、同労者、囚人と牧会者と変化していきました。彼らの出会いと召しに注目してみましょう。
テモテに出会った時のパウロが抱いた印象や思いは聖書には記されていません。周囲から評判の良い青年であったとだけ記録されています。特にテモテは町や年代を超えて、多くの人が信仰者として名誉のある人だと評価されていました。
パウロは「この」テモテを、宣教の同労者として同行させたいと声をかけました。テモテにとってはパウロが偉大な使徒であることは理解していたとしても、まさか自分が宣教への召しを、しかもパウロの口からその召しが与えられるとは思ってもいなかったことでしょう。
さらに宣教の準備として受けた指示は、割礼を受けることでした。母はユダヤ人でしたが、父がギリシア人であるテモテは割礼を受ける必要はありません。加えてパウロはテモテを連れて行って伝えようとしていることは、異邦人は割礼を受けなくてもよいという内容でした。
パウロは割礼が信仰のしるしではなく、ユダヤ民族・文化のしるしとして捉え、テモテが受けることで、ユダヤ人たちが彼を同じ仲間だと考え、聞く耳を持つことを理解したのです。
テモテにとって、宣教への召しは突然に、人を通して与えられました。彼はパウロの声かけを召しだと確信したのは、日々主とともに歩んでいたからです。また、召しの働きのために備えがあり、それに従うことで、宣教はさらに豊かなものとなり、多くの人々を導くことができるようになります。
私たちも宣教の召しへ応答する備えを始めましょう。