「賛美のささげ時」 レビ記 19:23-25
桃栗三年柿八年。新しく植える株は1、2年で小さな実りを迎えますが、株全体が強められるためには、3年待つべきという教えです。聖書でも同じように3年間は禁断のものとして、実を食べないようにと教えています。
コロナ禍での数年間、賛美をしたくてもできない状況がありました。「したい」よりも「ならないように」を考える生活が続きました。昨年の後半から「やってみよう」と言える状況になりました。
賛美とは神との関係を喜ぶという意味を含みます。人は神を賛美することでその関係を喜び、神は賛美と同じ言葉である祝福を与え、人との関係の喜びを表現されます。
賛美にはささげ時があり、その時が来るまでは神の契約のうちにないものと主は語ります。時が満ちるまで、待つことを求められますが、私たちは早く収穫したい、報告したいと焦ることでしょう。
そのような時、私たちが「良かったね」と言われることを求めていたのだと気づきます。主はその実が充実することだけを喜ぶのではなく、主のものとして取り分けておくことを喜ばれます。
主にとって、最も価値のある実りは収穫をささげるあなた自身です。主との契約に従って実りを待ち、その実りをささげものとし、ともに主の前に出て主をほめたたえるあなたこそ、まさに賛美のささげものなのです。
この歩みを恐れることはありません。主はあなたに損をさせるような方ではありません。主とあなたとの親しい信仰の交わりの後、さらなる収穫を与えてくださると約束されているからです。