ことばの栞 20240324

「二人のイエス」 マタイ 27:11-38
 ピラトは群衆に二人のイエスのどちらを釈放するのかを選ばせました。一人はキリストとよばれるイエス、もう一人は悪名高い囚人バラバ・イエスです。
 ピラトはキリスト・イエスに罪を見いだすことができず、釈放しようと考えます。しかし、祭司長たちや群衆の声に負けて、その権威をもって行動に表すことができませんでした。
 そのためピラトは自分ではなく、民に選択を迫ったのです。暴動や殺人を犯したバラバと、妬みによって訴えられているだけのキリスト。誰の目から見てもわかりやすいようにあえて二人のイエスを並べて、群衆の良心に委ねました。

 しかしその結果は、群衆がバラバを選んだのです。そんなつもりではなくても、権威を行使せず責任を放棄したことで大きな罪を呼び込むこととなったのです。
 群衆もまた、祭司長たちや長老たちに説得をされたとはいえ、自分たちが進んでキリストを虐げ、からかい、血の責任を自分とその子どもらにあると宣言しました。それは一人の行いの結果ではなく集団としての決定であり、その群れ全体の責任とされるのです。

 私たちは意図していないままに犯していた罪を自覚し、神がそれによって傷ついたことを認め、悔い改めなければなりません。十字架につけよと叫んだ群衆の子どもらのうちに私たちも含まれており、私たち自身もまた、キリストを傷つけた歩みをしてきました。
 しかし主はその罪をも、一人一人と和解し、救いのために用いられる方です。主に信頼して神との歩みに責任を持つ者となりましょう。