「憐れみによるもの」
神は味方で、信じる者はあらゆるものに勝利していると語るパウロにとって、イスラエルの人々はどのように映っているのでしょうか。
異邦人との違いを強調し、選ばれた民族として誇りを持ち、選ばれるべき要素や貢献を語り、ユダヤ人として生きるべきだと考えている彼らを、パウロは肉の同胞で、味方であると捉えています。
神との約束も、律法も、救い主の誕生もすべてイスラエルを通してなされていることを確認しつつ、そのすべてがイスラエルに留まることなく、全人類へと届けられていることをパウロは確信しています。だからこそ、救いを与えられたことを誇るに留まり、悔い改ないイスラエルの人々の状況に心を痛めているのです。
救いはイスラエルの子孫に与えられますが、その対象者は血縁という肉の子孫ではなく、信仰によって子とされた者が契約上の子孫です。神は救いの始まりにイスラエルを選びましたが、それは神の一方的な憐れみによるものであり、人間の能力や実績は関わってはいません。
神にとっては選ぶときがあり、選ばずに別の働きをさせる時があります。憐れむ時もあれば頑なにして別の民に悔い改めを促す時もあります。一人一人に注目すると、一時的に選ばれなくても別の歩みに選ばれる時が備えられているのです。
伝道旅行で異邦人に福音を告げ知らせ、異邦人にも聖霊が降った出来事をパウロが見ていました。神はすべての民を憐れみのうちに、それぞれに悔い改めの時を選び、働いておられます。