1コリント 3:2
私はあなたがたには乳を飲ませ、固い食物を与えませんでした。
あなたがたには、まだ無理だったからです。
実は、今でもまだ無理なのです。
末の子が泣いているとあやさないと思い、その身を持ち上げて抱っこしますが、最近はその足元に一つ上の子が泣いて抱き着いてきてアピールしてきます。
嫉妬している本人はとても辛いと思いますが、親としてその顔を眺めていると、とても可愛く感じてしまいます。
子にとっては、目の前の大人が自分の親だと分かり、自分に愛情を注いでくれる存在だと分かっているからこそその愛の方向が別の方に向いてしまわないことを確認したいからこそ、泣いて気を引き、抱き着いて離さないのでしょう。
親はそれを子どもにとって新たな成長の段階に来たことを知る機会となっています。
もし、この嫉妬の感情や行動がなければ、誰にでもついていき、身を危険にさらすことにもつながりかねません。
私の人生にも辛く、泣きたくなることがあります。神がなんでこんな状況に私を置かれるのかと嘆く時もあります。でも、決して神が意地悪をして招いた結果なわけではなく、私が神を知っていて、神が私の成長を感じているとしたら、その辛さは成熟への大切なステップなのだと受け入れたいと思います。
神ゆえに苦しむことを受け入れているなら
神を信頼して生きているこその証