みことばはみがき No.16

   マルコ 1:4
   バプテスマのヨハネが荒野に現れ、
   罪の赦しに導く悔い改めのバプテスマを宣べ伝えた。
    
 プランターの特別な学びということで、宣教師たちが韓国宣教をするにあたり、共有していた宣教政策についてと、南北分裂前の時代のリバイバル(信仰の復興)の出来事について学びました。
 10項目の政策の中には伝道の行い方や教育の仕方、他の宣教師や国や自治体との関わりについての取り決めがありました。そして世界的にも大きな話題となった平壌のリバイバルの出来事のきかっけを学んだとき、私の心に大きな働きかけがありました。

 その内容を調べたところ、集会において説教と罪の告白が連日にわたり、行われていたとのことでした。特に権威のある立場にある教会の責任者が周りからの評価をいとわず、これまでに神に対して犯して罪を洗いざらい正直に告白したことで、周囲の人々の呼び水となり、多くの人が罪の告白に導かれ、悔い改めたことが記録されていました。

 神に対する恐れが、罪を告白することで起こる周囲の反応への恐れに勝ることにならなければ、それは結局、神よりも恐れる偶像礼拝となってしまいます。恐れるべきものを恐れることができるように、神に切に祈ります。


    恐れを見分ける目が信仰であり、
    恐れるべきものを恐れる心が信仰である。