みことばはみがき No.18

   ヨハネ5:39
   あなたがたは、
   聖書の中に永遠のいのちがあると思って、聖書を調べています。
   その聖書は、わたしについて証ししているものです。
    
 以前視聴していたテレビドラマの総集編を見ると、原爆を受けた地域が復興していく街を思い悩んでいた主人公が視察しに行く様子が描かれていました。

 自分の中に何かを見出そうとしても、思いつめるだけで、何も見出せなかった主人公が、戦争の災禍からの復興を夢見て力を合わせて暮らす人々の姿を見て、思考の大きな転換を迎えたのです。
 
 なぜ自分はこのような境遇なのか、なぜ自分たちだけこうなってしまったのかと、自分の力の及ばないものに対して自分に問うても何も生まれません。そうなってしまっては無力の自分を卑下するだけになってしまいます。
 一方で置かれた状況の中で人々と手を取り希望に自分を委ねて前を向く人々は、この問を置いておき、数年・十数年・数十年後に振り返ってこの問に答えを出していくことになるでしょう。

 信仰生活の中でも、なぜと問いたくなる経験は数えきれないほどあります。しかし答えが出るまでただ神に祈るよりも、祈りながらも置かれた状況を歩むからこそ、神の意図を知り、自分が用いられる価値を知ることになるでしょう。


    意味を見出すために信仰を用いるのではなく
    意味が見出されていく歩みが信仰である。