マタイ27:42
他人は救ったが、自分は救えない。彼はイスラエルの王だ。
今、十字架から降りてもらおう。そうすれば信じよう。
聖書のみことばがどれほど正しいかと問われた時、絶対に正しいと答えたいと思います。しかし、それがどうやってわかるのだと問われた時、答えるのに窮するのではないかと思います。
キリストご自身が十字架の下にいる祭司長たちや律法学者たちからこのように言われた時、反論はできたことでしょう。ただ、そのようなことは行いませんでした。悪魔の誘惑の際も、キリストはあなたの主を試みてはならないとみことばによって語りました。
一方、信じて実を結ぶキリスト者たちの軌跡も聖書に記されています。そして私自身が、みことばを通してキリストを知り、従って歩んだからこそ得られたものが多くあったことを知っています。
信じることは主体者に対する出来事の結果ではなく主体者の決心です。だからこそ、信じるために条件を与えても、それを満たしたからと言って信じますとはなりません。今回はたまたま、やり方が違う、私の望んでいる形ではないなど、いくらでも言い訳を付けられます。ただ、それでは主が伸ばされた枝を切り落とすようなものであり、実を結ぶことはありません。
みことばを試す歩みよりもみことばに生きる歩み、それがキリストとともに歩むことでしょう。
みことばは信仰によって結ばれる。
みことばを試みても何も結ばれない。
2021年4月11日 公開