みことばはみがき No.34

   ガラテヤ2:20
   もはや私が生きているのではなく、
   キリストが私のうちに生きておられるのです。
   今私が肉において生きているいのちは、
   私を愛し、私のためにご自分を与えてくださった、
   神の御子に対する信仰によるのです。 
  
 妻と娘が不在の1週間を過ごしています。妻の地元で生まれた娘がこの地に来てから、これほど長い時間離れたのは初めてで、家族と暮らすことと離れることの違いを実感しています。

 家族と離れることで、自分の予定通りに時間を使えることがこんなにも簡単に行うことができるのだと知りました。朝から晩まで教会の働きや自分のやりたいことができる、まるで青年時代の過ごし方を取り戻したかのようでした。
 一方で家族と離れることで、ふれあいや会話といった関係のうちに育まれてきたものが生まれないことに寂しさを覚えます。現代ではビデオ通話によって顔を見て、声を見ることはできます。それでも家と働きの場が近ければ近いほど、離れた時に減る家族の交わりは大きなものとなります。

 この2つの感覚を同時に与えられたとき、私が働きに向かえるのは、そのために備えて関係を保ってくれる家族がいるからだと知りました。働きと関係のバランスを保っていたのは私ではなく、支えてくれる存在だったのです。

 
    神があなたを遣わしたからこそ
    あなたとの関係を保とうとされている