ヨハネ 9:31
神は、罪人たちの言うことはお聞きになりませんが、
神を敬い、神のみこころを行う者がいれば、
その人の言うことはお聞きくださいます。
北京オリンピックが始まりました。昨年の東京オリンピックが身近で盛大に感じたこともあり、冬季五輪はなんだか遠く感じてしまいます。
しかし、ひと度競技をのぞいてみると、トッププレイヤーたちが雪や氷の上で鎬(しのぎ)を削っている様子に興奮を覚えます。陸上と違い、多くの競技では転倒と隣り合わせの状況で、より速く、より遠く、より高度な技を披露することになります。
その中でもフリースタイルという技を披露する競技では、選手たちが相手を倒すという観点ではなく、自らのベストを尽くすチャレンジを応援し、たたえあう姿が数多く見られました。
彼らにとって、競技大会は戦場ではなく交わりの場であり、互いの技の成功を祈り、喜び合う場となっていました。彼らは彼ららしく生きようと競技と向き合った結果、金メダルよりも価値ある場を手に入れたと言えるでしょう。
信仰は試みとの戦場と言えるかもしれません。しかし、ともに神を求め、神と生きようとする者たちの集まりと見るなら、そこにあるのは戦いではなく、支え合う共同体と姿です。
相手を倒そうとする場は戦場であり
相手を称えようとする場は共同体である