マタイ28:20
わたしがあなたがたに命じておいた、
すべてのことを守るように教えなさい。
見よ。わたしは世の終わりまで、
いつもあなたがたとともにいます。
里帰りしている妻から娘が体調不良で病院に行ってくるとの連絡がありました。離れているため、どうすることもできず、祈って次の連絡を待ちました。
しばらくして報告の知らせが届きました。熱もなく、体も異常なし。ホッとする一方で、普段のように駆け回ったりキャッキャと叫んだりすることもなく、寝て起きて、笑うこともなく、ゴロゴロしてまた寝るような状況にとても心配になりました。
抱くこともできず、妻につないでもらった電話の画面を通して声をかけるしかできません。しかし、私の声にチラッと目をよこしただけで、すぐに目線をそらす様子が見えるだけでした。
妻に状況を教えてもらいながら話しあっていくと、どうやら父親に会いたい、家に帰りたいというホームシックなのではないかということに当たりました。
寂しい時、顔だけでも見て、声を聞いて安心するのは確かですが、寂しさを感じたくないゆえに、顔を見ない、声を聞かない、何もしたくないという気持ちになるものです。その日の晩、気持ちの整理がついたのか、ご飯をしっかり食べて再び元気に部屋の中を駆け回る様子を見て、画面の手前の私は安心しました。
心の寂しさを感じるのは存在に気付いた時
心の寂しさを埋めるのは関係に気付いた時