みことばはみがき No.66

   マルコ 6:3
   この人は大工ではないか。
   マリアの子で、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄ではないか。
   その妹たちも、ここで私たちと一緒にいるではないか。
   こうして彼らはイエスにつまずいた。 

 夏の休暇をいただいて地元の北海道の家族に会っています。桜が丘の礼拝は録画での説教という新しい形にチャレンジします。
 一方で私は昨年開所された、新札幌聖書教会の伝道所であり、実家から徒歩10分以内の由仁オアシス教会の礼拝で説教奉仕をすることとなり、初めて地元の礼拝の中で御言葉を語ります。
 
 休みなのに説教するのかと考えるとなんだか気が休まらないように感じますが、離れている実家の家族と一緒に礼拝できることは喜びです。また、父を相手に説教奉仕をすることはなく、これからの人生でも数回しかないかもしれません。
 私が地元に戻るとほとんどの人にとっては牧師ではなく、仕出し屋の息子です。親にとっては子どもです。その立場が覆ることはほとんどないでしょう。それでも福音を宣べ伝えることをあきらめることはありません。

 礼拝の場で御言葉に向き合おうとするなら、私の言葉であっても、主が用いてくださり、地元や親子の関係を超えた、神との関係に招いてくださることでしょう。


    人との関係を何十年積み重ねていても
    永遠に積み重ねられる神との関係には及ばない