7月26日
平日の夜に久しぶりに家族会議が開かれました。今回は、礼拝の説教準備のための時間を取り分けるための作戦会議です。私自身が家事や育児に積極的な一方、私だけに特別に委ねられている奉仕である説教は教会教職者にとって最も大切な時間です。しかし、子どもの面倒を見ながら行うのはとても難しく、気がついたらもう夕食の時間ということもしばしばあります。
そこで、妻に意見を求めました。すると、「金曜日の午前中に終わらせること」という意見が出ました。教職者であれば、これがかなり難しい課題であるかを共感するかもしれません。しかし、自分の意思だけでは甘えが出、言い訳をしてしまうことを恐れた私は、「金曜日の10時に妻の前で説教原稿を読めるようにします。」と宣言しました。
ちょうどこの議題の直前に、妻の協力によって9時から18時は育児の時間を極力0にし、18時以降は基本的に家族奉仕というルールを設けながら、公私の境界線をつけようということになりました。そのため、実質的には木曜日に終わらせるような状況です。
このプレッシャーと自己発言による責任によって、これまで以上に効率的な時間配分を考え、集中して取り組むことができました。結果的にはすべてを時間内に原稿に仕上げることはできませんでしたが、これから限りなく訪れる主日礼拝に向けて、良い労働のモデルとなり、子どもと一緒に礼拝する難しさを感じる妻にとっても御言葉に触れる尊い機会となったことを感謝しました。
なぜなら、この奉仕の務めは、
聖徒たちの欠乏を満たすだけではなく、
神に対する多くの感謝を通して
ますます豊かになるからです。
2コリント 9:12