光テラス No.125

9月6日
 教団の青年部のミーティングが午前・午後とありました。私自身は今年の4月からその働きに加わりましたが、コロナ禍にあってこれまで通りの活動ができず、イベントを通して青年たちに会うことは未だにできないでいます。それでも与えられた役割を全うしたいと思い、会議に参加しました。
 そこで考えさせられた内容が、「宣言する」とはどういうことか、です。聖書の原語であるギリシャ語を調べてみると、宣言と証は同じ単語で表されています。自分が信じているものがどのようなものか、自分がどのような義務や責任を負っているのか、そして自らの存在・立場がどのようなものかが語られています。宣言するほど大切にし、伝えいきたい大切なものがあると証することになります。
 同盟教団がこれまでの歩みを振り返ってみると、教団が宣教への情熱と方策としての協力を大切にしてきた歴史があります。宣教の使命を果たすことを義務として教団の改革を行い、宣教区という形で教会が連携して宣教に励み、全都道府県での教会開拓を目指し、アジア全域への宣教師の派遣を目標として取り組んでいます。責任を果たすという点では偶像礼拝と戦争協力という罪を犯した存在であることを認め、国家も教団も同じ過ちを犯さないために積極的に関心を持って発言しています。これらの義務と責任の中で今、青少年たちとともに何を宣言するのか考える機会が与えられたことで、私自身もまた、考える者とされました。

    みことばを宣べ伝えなさい。
    時がよくても悪くてもしっかりやりなさい。
    忍耐の限りを尽くし、絶えず教えながら、
    責め、戒め、また勧めなさい。
                  Ⅱテモテ4:2