光テラス No.127

9月27日
 北海道へ孫見せを兼ねて帰省しました。コロナ禍の移動を経ての礼拝出席が可能かどうか、予め神学校の同期入学の友人夫妻が牧会する、地元から近い同盟教団の教会へ連絡しました。すると、礼拝説教の話になり、主任牧師の承認後、引き受けることになりした。地元に近い教会で福音を語ることのできる恵みに感謝しました。

 さらにうれしい知らせが舞い込んで来ました。説教奉仕をする教会で仕えてきた宣教師ご夫妻が、私の地元に住んで、教会開拓の働きを始めるというのです。その土地は昔、礼拝堂だけ建てられたものの牧会者が与えられないまま、空き家になっていた場所でした。
 初めての他教会での説教奉仕を終えた次の日、娘の散歩を兼ねて実家から歩いて10分の開拓教会を見に行くことにしました。たまたま開拓準備に携わった親教会の方々もいらっしゃっていたこともあり、教会の中に入ってお話をすることとなりました。

 礼拝堂の中へ足を踏み入れ、中を覗いてみると、古い足踏みオルガンが置いてあるではありませんか!それは父が小学生の時から使われ続けてきた日曜学校のものだったのです。私の高校卒業とともに役目を終えていたと思っていたオルガンとの再会です。驚きつつ喜びをもって、そのオルガンを弾くと、調律された懐かしい響きを感じました。
 この地には福音が枯れたのではなく、宝のようにしばらくの間、隠されていたのだと確信した出会いでした。

    天の御国は畑に隠された宝のようなものです。
    その宝を見つけた人は、それをそのまま隠しておきます。
    そして喜びのあまり、行って、
    持っている物すべてを売り払い、その畑を買います。
                       マタイ13:44