光テラス No.134

11月15日
 私が試験課題に取り組む中、子ども世話を一手に引き受けた妻からぽろっと出た弱音に対して「がんばるしかないね」と答えたことで、傷つけてしまいました。思えばこれまで何度も、弱音には労いと共感を、と言われてはいたものの、気持ちの余裕のなさからまたも不用意な声かけをしてしまいました。

 その一方で、私も納得できない部分がありました。それは私がどんなに休んだところで、課題は進まず、期限だけが迫ってくるため、何の解決にもならないどころか、事態がさらに悪くなってしまうからです。気合の入れ時の今、一息つけない状況が、まるで自分自身にがんばるしかないという言葉をかけているように妻に言っていました。
しかし子育てという期限のない、抱え切れないほど大きな課題は、妻にとっても私にとっても頑張りきれないものです。共感は気合を入れるにはあまり効果はないですが、完璧にできないことを認め、それでも前に向かって息切れを起こさずに進むために必要な力となります。

 信仰生活もまた、試練という気合の入れ時とキリストのからだへと変えられていくための期限のない課題と向き合っていく道のりがあります。ギアの上げ下げによって信仰は変わりませんが、生活にとっては大切な知恵です。それが家族全員同じとは限りません。
 自分のペースを守りながら、相手のペースを見極めること。それは決して置いてけぼりではなく、抱えるものの違いだとを知りました。

    すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。
    わたしがあなたがたを休ませてあげます。
    わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。
                        マタイ11:28、30