8月19日
ティーンズバイブルキャンプへカウンセラーとして参加してきました。キャンプのテーマは「迷っちゃう、だって人間だもの。」私も中高生のときはいろいろと迷っていたなぁと思い返しながら出発しました。
集会の始まり。暗い部屋の中で照らされているバンドチーム。そこに中高生たちが集まり、賛美が始まりました。リズムに合わせて手を上げたり合いの手を入れたり、飛び跳ねながら歌ったりと、自由に思いっ切り賛美している姿が印象的でした。メッセージの時にはメモを取りながら、講師の先生へと視線をまっすぐに向けていました。
メッセージの後、彼らは自分の生活や性格と照らし合わせ、じっくりと考えていました。そんな彼らのまっすぐな信仰を見ながら、私も御言葉をそのまま受け取りたい、話したいと願うようになりました。
キャンプの最後の夜に1対1で信仰やキャンプの感想などについて語り合う時間が設けられました。私は、御言葉を受け入れた確信を実生活に還元して、キャンプでの決心を忘れずに日常に持ち帰って活かしてほしいと思いながら話を聞いていました。
1対1の対話が終わり、講師に報告して祈るときを持ちました。しかしそこで、思わぬ言葉が返ってきました。「御言葉がどのように落とし込まれたかが報告の中からは伝わってきません。」
私はひどく動揺しました。自分の行っていた先が別の道だったことで、私自身が迷い子になってしまったような気がしたからです。そんな崩れた心ではキャンプの御言葉を改めて読むしかできませんでした。
主によって人の歩みは確かにされる。
主はその人の道を喜ばれる。
その人は転んでも倒れ伏すことはない。
主がその人の腕を支えておられるからだ。
詩篇37:22~23