11月11日
隣町にある樹齢100年を超えた楷(かい)の木が紅葉し、ライトアップされているということを聞いて、見に行くことにしました。国宝の講堂とともにライトアップされている姿は本当に幻想的で、時代をタイムスリップしたかのような勇厳な姿に感動しました。
帰ってからしばらくして、「なぜライトアップに惹きつけられるのか」ということを思い巡らしていました。昼間に見る景色と夜に見る景色。目に映る物は同じでも全く違う印象を持ちます。
もし昼にライトアップがあったらどうかろうかと考えたとき、「それは意味がない」という声が隣から聞こえてきました。明るいものに光を与えてもほとんど変わらないし、気付かないと思う。そんなことする必要もない、ということでした。
明るくても暗くてもその姿を見ることができます。ただ、わずかでも光がなければ物を捕らえることはできません。だから暗いときほど光を意識します。私たちは暗闇の中でライトアップされた自然や建造物を見て感動し、いつしか「ライトアップ」そのものに魅力を覚え、期待をしながらその時を待ちます。
私が輝けるのは自分を磨くからでも、自分自身が光を放つのでもなく、私を照らしてくださる方がいらっしゃるからなんだなぁ、と思いながら、私を照らしてくださる方の魅力を改めて感じ、感謝しました。
わたしは世の光です。わたしに従うものは、
決して闇の中を歩むことがなく、いのちの光を持ちます。
ヨハネ8:12