光テラス No.46

3月3日
 水曜日のプランター(祈りと学びの時)に、宣教を終えて帰国された先生がいらっしゃり、聖書の話と宣教の報告を聞きました。そして教会の活動が終わった後、食事をともにする機会が与えられ、宣教地での暮らし、特に信仰生活について様々な話を聞くことができました。
 最も印象的なことは、宣教師の家族、特に子どもにとって宣教地での教会の礼拝は「黙って座っている時間」にしかならないという事情です。なぜなら宣教師は外国語で現地の方々に向けて聖書の話をしますが、子どもにとっては理解できない言語となってしまうからです。しかし子どもが礼拝堂の外で遊んでいるという状況はほぼできず、周囲の目線もあり、一緒に礼拝する以外にないというものでした。
 そこで宣教師家族が大切にしたことは、家庭礼拝を充実にするということでした。教会での働きを終えた日曜日の夕方、子どものために礼拝の場を整え、牧師として子どもたちに向けた話を行い、晩御飯の場を用いた愛餐会が行っていたそうです。
 この話を聞いたときに、ふと自分の家族を思い浮かべました。海外である、日本に暮らす自分の妻のために夫としてではなく、牧師としてできることをしているのだろうか。私には妻の母国語で語る語学力はないけれども、一人の信仰者のために備えるべきものがあることに気づかされました。

    自分の家庭をよく治め、十分な威厳をもって子どもを
    従わせる人でなければなりません。
    自分自身の家庭を治めることを知らない人が、
    どうして神の教会を世話することができるでしょうか。
                     テモテ3:4-5