光テラス No.52

4月14日
 昨年の4月に赴任してから初めて、教会外で説教をすることになりました。毎年4月末に行われているVictoryという超教派の賛美の集会の決起集会「プレビクトリー3」での奉仕です。
 説教のテーマは何でもいいよと言われましたが、さてどうしたらよいかと悩み始めました。今年度のテーマとにらめっこしながら、どの聖書箇所がよいのか、どのテーマや角度で話したらよいのかを考えていくうちに時間ばかりが刻々と過ぎていってしまいました。
 さらに、主日礼拝の説教との大きな違いに気が付きました。それは、聞く者が見えないということでした。毎週顔を合わせる教会の人たちとは違う、学生や若い社会人が会衆の中心ということを予想しつつも、しばらくその世代へアプローチがなかったことが思い起こされました。
 満足と言えるほどの完成度にはならなかったものの、なんとか説教の奉仕を終えて教会に戻り、この日の奉仕について振り返っているときに、主の計画の中にあったということに辿り着きました。
 この奉仕を通して、私がいかに礼拝に来る人たち「会衆」の祈りとみことばに対する態度によって支えられ、説教台の前に立つことができるのかを大いに感じ、さらに主が私を練るために、普段関わることのできない場へと引き出してくださったのだと感じました。
 祈りと信仰によって与えられた機会は決して私への壁ではなく、主の計画と御心による成長の過程であることを知った奉仕でした。

     私たちはこのキリストを宣べ伝え、あらゆる知恵を持って、
     すべての人を諭し、すべての人を教えています。
     すべての人を、キリストにあって成熟したものとして
     立たせるからです。  
                       コロサイ1:28