光テラス No.58

5月26日
 先週行った、高校生のためのキリスト教集会hi-b.a(ハイビーエー)の集会の終わりに互いに祈りあうときを持ちました。それぞれの祈祷課題を伝え合うとき、私は同世代の男性と気軽に話ができ、信仰について語ることのできる友達が与えられるようにと伝えて祈りました。
 集会を終え、教会員を訪問して家に帰っていたとき、災害支援の奉仕で知り合った同い年の男性から「今度ご飯一緒にどうですか」とメッセージが入りました。私は「祈りが聞かれた」という思いと「早いな!」というツッコミを神に対してしていました。本当に驚きです。
 週明けに彼と会って食事をしていると、職場や立場や周囲の関係を気にしないで(緊張せずに)何でも話せる友達がほしかった、と彼が言いました。そこで私は先週の光テラスの御言葉を思い返しました。
 私の祈りは確かに聞かれました。しかし、この御言葉は彼の思いと信仰によって聞かれたものでもあるのです。むしろ彼の祈りに私が用いられたと思ってもいいかもしれません。
 神は決して一人だけの祈りを聞かれる方ではありません。御心にかなったものを、そして心の深くにある本質的な願いを探り、かなえてくださるお方だと思いました。だからこそ帰り際に、私はこの出会いに関して、互いに魅力ある存在としてほめあうのではなく、引き合わせてくださった神に感謝し、神をほめたたえました。

(前回と同じ御言葉です)
    あなたがたがわたしを捜し求めるとき
    心を尽くしてわたしを求めるなら、
    わたしを見つける。
             エレミヤ29:13