6月2日
岡山県宣教の集いの講演会に行ってきました。今年度は九州キリスト災害支援センターから横山法路(ぽうろ)師が福音にふさわしい生き方と題して、災害支援の意義やキリスト者の信仰の在り方を語ってくださりました。
その中で、キリスト者たちが、みなが共通に抱えている社会的な課題に対して、問題提起をするような方法で取り組んでいた歴史があることを語ってくださりました。疫病が流行っていた際に、いのちがけで看病し、神の愛を示してきた姿は多くの人の心を動かしました。一方で、このような行動ができるのは、キリスト者たちが永遠のいのちの価値を知り、愛を分かち合うコミュニティに属していたからだと説明しました。確かにキリストこそ、自分のいのちをいとわずに神に仕え、十字架にかかりました。その姿は無力でしたが、そこに最大限の神の働きがありました。
講演後、横山先生に質問をしました。「災害を支援する者にとって、最も大きな収穫は何でしょうか?」すると、先生はこのように答えました。「自分が無力であることを知ること。そして無力である自分を用いてくださる神の働きを、身をもって実感すること。」
先生の答えは、キリストの十字架上の姿と一致していました。そして、答えている先生の目は輝いていました。その時、災害支援先の人たちから「キリストさん」と呼ばれていた理由が少しだけわかりました。その瞳を通して、キリストの人格が見た瞬間でした。
わたしを見る者は、
わたしを遣わされた方を見るのです。
ヨハネ12:45