9月8日
補教師研修会のために浜名湖バイブルキャンプへ行ってきました。教団の歴史や礼拝についての学び、牧会での悩みや課題を分かち合い、先輩の先生方との話し合いなど、内容の濃い3泊4日を過ごしました。
前半の講義の中で先生がこのように仰りました。「私たちはなぜキリストによって救われる必要があったのか、そして自分が救われたのかを聖書だけを使って説明できるようにならなければなりません。」
この言葉を聞きながら、私は次のことを思い巡らしました。
『一人ひとりの生い立ちの中で、さまざまな影響を受けているからこそ、それぞれの人生に共通した教え=聖書がなぜ必要で、すべての人が悔い改める必要がどこにあるのかを確信を持って伝えることができなければ、その人が信仰を持っているかどうか見極められないだろう。』
牧師の責任とは洗礼を通して、その人の信仰に責任を持つことです。補教師である今のうちに私が学んでおかなければならないことがたくさんあることを知りました。信仰を決心する人に覚悟があるように、洗礼を授ける牧師にも、その人の信仰に責任を取る、証人となる覚悟がいります。その覚悟を持つためには心情や信仰だけでなく、知識を持って言葉で言い表せなければなりません。
牧師になるまでの最短期間である3年のちょうど中間地点。これから歩む道のりと超えなければならないハードルの両方を与えられた研修会となったことに感謝しています。
ですから、兄弟たち。
自分たちの召しと選びを確かなものとするように、
いっそう励みなさい。
これらのことを行っているなら、
決してつまずくことはありません。
2ペテロ1:10