光テラス No.82

11月10日
 親教会へ行った時、応接室に招かれていた信徒が部屋から出てきたときに「VIP待遇をしていただいて感謝でした」と語っていたことばが耳に残りました。
 その部屋はつい先ほどまで、私たちが会議で使用していた部屋であり、教職者や長老たちが座っていたイスがそのまま使われていました。伝道所の報告をする私にとっては、緊張の場所、働きを全うしているかどうかチェックされる場所でもありました。そのゆえ、私にはまるで審判の部屋のように感じたこともありました。同じ部屋・空間であっても入る人や目的によって受ける印象はまるで別物なのだと知った出来事でした。
 思えば、私たちがいのちを終えるときに、すべての人が主の御前に立つことになります。主を目の前にしたとき、きっと私たちは神に迎えられる喜びで、VIP待遇だと感じることでしょう。しかしその反面、主を目の前に、裁かれる恐れで満たされ、後悔する人も出てくるのかも知れません。
 神はその厳しさも優しさも変わることなく、一貫して私に向けられています。しかし、その奥にある神の愛情を感じることができたなら、きっと自分がどれほど温かく迎え入れられているのかを悟ることができるでしょう。
 そう思いながら、親教会の長老会に対して抱いていた審判の部屋という感覚がいかに失礼なことなのかと反省しました。ごめんなさい。

    善を行った者はよみがえっていのちを受けるために、
    悪を行った者はよみがえってさばきを受けるために出て来ます。
                           ヨハネ5:29