1月12日
2020年を迎え、家族と離れ、桜が丘に戻ってくると、しばらく滞っていた仕事が溜まってしまっていました。大慌てで行おうとしてもなかなか捗らず、別の作業が舞い込み、思うように進まず、家族とも離れ、子育てにも協力できないことに意気消沈してしまいました。
土曜日のジョイフルホリデーでのこと。礼拝を終え、活動の前半は体を動かしながら参加者全員で楽しく遊びましたが、後半の活動は「にらめっこ」ということでしたが、時間が経つにつれて、一人の子どもの顔を見ると、明らかに元気が無くなっているのに気がつきました。
活動を終え、その人に話を聞きました。
「どうしたの?何がイヤだったの?話してくれる?」
すると、泣き始めながらもなんとか口を開いて教えてくれました。
「にらめっこ、イヤだった。」
「そうかぁ、イヤだったんだね。
でも、逃げ出さないでみんなと一緒にいてくれてありがとね。
準備したものが嫌いなものということあるよね。
変えることはなかなか難しいけど、
イヤだったっていう気持ちはちゃんと聞くし、
配慮したいから、我慢せずに言ってね。
頑張って言ってくれてありがとう。うれしいよ。」
その人に言葉をかけていた時、その言葉は私に向けられた言葉でもあったことに気がつきました。私にも、どうにもならない状況に直面したとき、ひとりで乗り越えなければならないのではなく、神が「どうしたの?話してごらん」と聞いてくださっていたんです。
あなたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。
神があなたのことを心配してくださるからです。
1ペテロ5:7