1月26日
晩ご飯を作る気にならなかったので、外食をしようと考えていると、「回転寿司に行ってお魚食べたら?」という勧めもあり、一人でしばらくぶりに回転寿司に行きました。お店に着くと、たくさんの家族連れが順番を待っていて、私もしばらく時間がかかるなぁと覚悟しながら案内を待ちました。
数十分後、一人ということもあり、カウンターの一番奥に促され席に着くと、以前はあった回転寿司のターンテーブルがベルトコンベアに取り替えられていたことにすぐに気がつきました。
タッチパネルで注文をすると、ベルトコンベアの上に乗せられた寿司皿が自分の席の前に運ばれてきます。ITの機能も進化して、とてもスムーズに運ばれてきます。便利な機能に感心する一方で私は寂しい思いも湧き上がってきました。
『回ってくるネタにわくわくしたり、まだ来ないなぁとか、
何か好きなのないかなぁと眺めながら待ったりすることもないんだぁ。
これじゃ、後払いの自動販売機と変わらないんだよなぁ。』
安くておいしい食事は確かにうれしいもの。でも食卓に求めるものはそれだけではありません。
きっと主の食卓も材料に関するコスパよりも、主とともに食卓を囲める喜びや安らぎ、そして交わりの思い出に心が温まることでしょう。
イエスは五つのパンと二匹の魚を取り、
天を見上げて神をほめたたえ、パンを裂き、
そして人々に配るように弟子たちにお与えになった。
また二匹の魚も皆に分けられた。
彼らはみな、食べて満腹した。
マルコ6:41-42