3月1日
クリスマス前に生まれた娘を迎えにソウルに行ってきました。新型コロナウィルスの感染に対する恐れと不安が広がっている中、幸いにも渡航中止や入国拒否とならず、無事に家族全員で帰ってくることができました。
生まれてすぐに会って1週間ほど過ごすことはできましたが、以前は施設内で、時々一緒に過ごせる程度だったものが、赤磐に戻ってきてからは24時間一緒にいることもできるようになりました。
私にとっては、妻と娘が韓国にいた約2ヶ月間の離れた生活が終わり、いよいよ家族としてスタートできる喜びでいっぱいでした。妻にとっては喜びと寂しさが混在する状況となっていました。赤ちゃん用品や遊具を通して、韓国で子育てをしていた生活が思い出され、原家族と離れてしまう寂しさがこみ上げてきていました。現家族の生活が取り戻せる・自分の居場所に帰ることができる喜びも確かにあるという感覚に混乱することもありました。
韓国の義両親にとっては、生まれてからずっと一緒だった孫と最も愛情を注いできた娘を婿が日本に連れて行った、奪って行ったような感覚にさえ陥っていたかもしれません。私たちが去っていった部屋にはさっきまで使っていた赤ちゃん用品だけが残っているのです。その寂しさや悲しさは愛情を注いでいた証だと思いました。
また、(イエスが息を引き取る)この光景を見に集まっていた
群集もみな、これらの出来事を見て、
悲しみのあまり胸をたたきながら帰って行った。
ルカ23:48